今回のタイトルは男性なら昔はよく女性から聞いたセリフだろう。

 最近はとんと聞かないことだと思う。


 「プラトニックな関係でいましょう」とは、肉体関係を持たず、男女がお互いに精神的なつながりだけを大事にしましょうということ。

 「距離を持ちましょう」、そんな風にも聞こえるセリフだ。

 だが、いったい何のためにw。


 これはたいてい女性の方からオトコの側に言い出された言葉だったと思う。

 あまりオトコが女性に言ったというのは聞いたことがない。

 まるで女性の特権のようにこんな宣言が昔は女性からよくされたものだ。


 今は「肉食」の女性が多くなったからなのか、あまり聞かれることはないような気がするがw。



 ただこの言葉はそのまま受け取るべきではない。

 身持ちが堅かったり、家柄がそうだったりして「操を守る」という理由だけでもなかったからだ。

 そうした場合は「時機を見る」と言うことになる。

 結婚するまでは貞操を守るという古風な考え方だ。


 しかしそんな話ではなく、女性ご本人が恋愛についての特別な思い入れがあって、そんな提案をオトコの方がされるということが昔はよくあったのだ。


 精神的なつながりや絆があれば捨てられることがない、むしろ肉体はやがて衰える。

 女性はそれを怖れるものだ。

 そんな女性特有の願望であり保守的な反応でもあったかもしれない。

 そうしてお互いの関係が離れがたくなったらやっとセックスの関係になる。 それはまるでオトコには「ご褒美」のようなものだ。


 たいていのオトコにはそれは女性の「ズルさ」を感じさせるところだったろうと俺は思う。




 ではこんなことを実際に言われたオトコはどうだったのか。

 俺の経験からすれば何か突き放されたような、自分が信用されていないような、その真意がよく分からずに戸惑ったものだった。


 明らかにそんなことを言う女性は「カラダを堪能されたら捨てられる」そんな風に身構えているように感じられたものだ。

 しかし、そのように想定されることは我々オトコを蔑むものだ。

 オトコは信用できないという前提なのだから。


 一方のこちらは、肉体的な関係を通じて生涯付き合えるかそうではないか、ただ成り行きに任せようとしているというのに、女性はそうではなかった。

 そこには女性特有の打算さえ感じられた。

 何らかの保障を求めているようで、そんなところに女性のズルさを感じることがあったものだ。


 こういうことを突然宣告されると、たいていの男というのはそれに納得できないで煩悶するものだ。

 こんな提案に男たちはじくじたる思いがしたはずだww。

 もちろん、そこからストーカー的なことに発展したりしたというのは昔はよくあったが今なら許されない。

 ならば女性も今はこうした言い方を控えたほうがいい、そんな風に俺は思う。


 たいてい、オトコというのはオンナよりも精神年齢的には幼いもので、オトコには女性たちの言う「精神的なつながり」とか「絆」の意味など分からないものだ。

 だからたいていのオトコはまずは肉体的なつながりを得て、それがやがて精神的なものになると信じているw。

 だから、「お前を俺のものにしてやる」なんて言って、セックスを通じて女性をモノにできるなんて状況をオトコは妄想できるw。


 ところが女性にとってはカラダの関係と精神的な関係というのは違う。 オトコにはそれが分からない。


 オトコは、肉体的な接触が精神的なつながりへと高まる、なんて大真面目に思っているものだ。

 我々人間には生物学的な本能が優先しDNAに支配されているのだと、それがたいていのオトコたちの考え方だ。


 だから特に、若いサカっているようなオトコにとっては、そんな「プラトニックな関係でいましょう」なんて女性からの通告は拷問に等しい。

 そのぐらい理解できないものなのだ。

 その言葉に男性は戸惑い傷つく。そしてオトコに女性というものをいっそう理解不能にさせる言い方のひとつがこれだ。



 しかし、女性というのは精神的な絆ということにはとりわけ敏感なものではある。

 その「絆」がどんなものか、彼女たちが分かっているとは必ずしも言えないが、それを追求しようとする傾向はあると言える。


 だから彼女たちは肉体的な関係を劣位にしようとすることが多い。

 女性には精神的なつながりは肉体的なことに優越すると信じる人が多い。

 それは女性には「衰え」ということが恐怖であるからかも知れない。 女性には年齢を意識することはいつでも重みとなっているものだからだ。


 ところが、これがまた女性の矛盾したところで、女性は肉体的な関係も重要視しているところがある。

 だからセックスレスで悩んでいる夫婦のケースなんて、むしろ女性の方が多いものだ。 隠れてはいるかも知れないがw。



 簡単にセックスすれば捨てられてしまう、そう思うのが女性の考え方だ。

 それでいて、抱かれなければ愛されてないと思うのも女性ということ。

 どっちなのかとオトコは迷い悩むw。


 つまり、まず精神的なつながりや絆があって、そして必然的なセックスという関係になるというのが女性の理屈なのだろう。

 すなわち、それは逆に愛を証明する手段でもあるのだ。

 
 対してオトコは、セックスを通じて精神的なつながりへと昇華してゆく、そんな幻想がある。

 だから男性としてはオトコが求めれば女性には応じてもらいたいと一方的に思ってしまうものだ。

 ところが女性には気分があり、こうした「保障」という問題がある。だからそうそうには男性の要求に応じられなかったりする。

 そんなスレ違いは悲しいw。


 むしろ女性の方がオトコよりも肉体的なことと精神的なことに矛盾を抱えていると言えるかも知れない。


 例えば、彼や旦那、オトコが誰か他のオンナと一晩どこかで一緒に過ごしてしまったとする。

 浮気は肉体的な接触だ。 女性はこれに敏感だ。アメリカでは必ずと言っていいほど離婚話になるほどだ。

 男性の浮気、裏切りは許されない。


 その一夜のことがバレ、彼が弁明をさせられたとする。

 ところが、特にその晩には何もなかった。 だから「いや、あの時は何もなかったんだ」と彼は説明をする。

 もしそれが事実だったと証明できたとして、肉体的な裏切りはなかったと分かったとしてもどうか。

 やはり問題にはなるw。


 パートナーの女性からの突っ込みはこうだ。

 いわく、「何もなかったんなら余計にマズいでしょうに」、と。

 男はその女性を大事に思っていたからこそ、その晩は軽々しく手を出さなかったのではないか、と。

 それはもはや恋愛と同等の相手への思いやりであり、その女性を大事にしたことになるのではないか、と。


 やれやれ、なんとも複雑な話だw。

 ヤレば文句を言うくせに、ヤラなければヤラないでそれはそれで問題だというのだからw。

 要はオンナたちは精神的なつながりを重視している部分と、またそれとは別に肉体的な不逞を許さないそんな両面があるのだと思う。



 そうしてまた、「たいていのオトコはカラダが目当てヨ」なんて女性は言ってみたりする。

 そういう女性たちの言い方はオトコには侮辱に聞こえるものだ。

 たいていの男は精神的なつながりに結実させるためにセックスを求めるのであって、何も性欲だけのためにオンナを求めるわけではない。

 「好きなのだからセックスがしたいのは当然だ」

 それがオトコの正直な言い分なのだ。


 だからオトコは女性への意趣返しに言ってみせることがある。

 「性欲を満たすだけならヘルスでもオナニーでも、性欲は発散できる」、なんてことを。

 それも女性には許せないらしいww(笑)。

 なぜならオトコが愛情を性欲と分けて開き直っていることも汚らわしいというわけだ。



 この議論の証拠になるかも知れないことだが、なぜかたいていの女性はオトコのマスターベーションを非難しないということがある。

 旦那が女房や子供が寝静まった夜にAVを見てヌいていたとしても女房殿は非難などしないものだ。

 あえて女性はそんな非難はしない。

 しかし、それは決して恥ずかしいことだからではない。

 それは女性はその矛盾を敢えて放置しておきたいからw。ズルい思惑があるというわけだ。


 マスターベーションをするオトコは、AVなんかを見て興奮する。 映像は生身の女性であるし、カレの好みの女性ではある。

 しかしそれは、たとえバーチャルにしても「浮気」ということではないのだろうか。

 たいていの女性はこれを問題にしない。


 もちろん、「AVを見てマスターベーションすることは浮気のうちに入るか?」なんてわざわざ聞けばどうか、女性たちはたちまち「それは浮気でしょう」と、色をなして非難を始めることだろうがw。

 女性というのはそういうものだw。 とてもズルいところがあるw。




 つまり、「性欲を満たす」ということはまず精神的な充足があってのことなのだ、ということ、それが女性の理屈ということだ。

 それはすなわち、女性にとっての自分の理想像でもある。


 だから性欲を隠さないようなオトコを女性は嫌うものだ。

 しかし反面、女性はパートナーのマスターベーションについては黙っている。

 そこには精神的なつながりや充足はないからだ。 相手はデジタル動画に過ぎない。 だから許せる。

 

 こういうことが極まると、付き合ってまだお喋り程度の関係であるだけの、まだ育ってもない関係のうちから女性は言い放つw。

 すなわち、「このままプラトニックな関係でいましょう」というセリフになる。


 しかし、なんだかこの言葉にはオトコの尊厳に関わるような侮辱的なものを感じるのは俺だけではないだろう。

 つまり女性は性的なことを軽んじているのか、セックスだって神聖なものではないのか、と。


 対してオトコはといえば、相変わらず「快楽に堕ちる女性」なんてことを夢見るものだ。

 肉体的な快楽が精神的なことへとつながるということを妄想するのがオトコというものだ。

 実際にも、オトコがAVを見てマスターベーションしている時、それは実際には浮気に近い感覚であると俺は思う。

 脳内で恋愛をすることはリアルで恋愛することと何ら変わらない。


 だいたいの話、性処理をするだけのつもりであろうと、相手が娼婦であろうと、ちょっと間違えれば深い恋愛関係になってしまうというのはオトコによくある話だ。

 相手がAVというデジタル映像だからそれができないというだけに過ぎない。


 ところが、女性にとっては肉体関係と精神的な関係は別だ。 だからたいていの女性の浮気はあっさりとしたものだ。

 女性はいとも簡単に浮気をするも。そして浮気相手に深入りすることはほとんどない。

 それでいて女性は男性の浮気は許したくない。彼ら男性は深入りしてしまうことがあるから。

 そしてなぜかAVオナニーは許せるということ。


 要は、女性には男性の性的な傾向が分かっているが、男性には女性のことが分かってないことが問題なのではないかw。


 結局、男女の対立はいつまでも平行線のままだ。

 可笑しくも滑稽ではある話だとは思うがなんとかならないものか。



 俺はエロビデオなんかを嫁に隠れて見ている時、いつも思うのはそんなことだwww。