きゃわイイ女

 嫁がかわいい。綺麗で自慢の嫁だ。籍を入れてないから正確には嫁じゃないんだけど。もう何年一緒だろうか。いつも一緒。いつもカワイイことを言って俺を楽しませる。最近、綺麗だと言わないと文句を言う。そんなに言ったら減るじゃん。

カテゴリ: 男のこと



 遅くなりましたが、あけましておめでとうございますw。

 あるいはもうすっかり遅くなってしまったから、「寒中見舞い申し上げます」と言った方がよいのか。


 こんな個人の独白みたいなもので、新年のご挨拶など余計かと思っていましたが、タマにはw、どうか。



 さて、フェラしてくれるという女性がいます。

 男性は女性にフェラしてもらっていることを想像してみてください。

 どうでしょう? ステキでしょうか。

 してもらったら、男性としてはどうなんでしょうw。

 そこそこ気持ちはいい。

 快感としては悪くはないでしょう。


 それなりの快感はあるでしょう。でも、そこそこの話ではないか。


 正直、俺はそんなに嬉しいということはあまりないのです。いつもなんだか微妙なのです。




 それなら俺はどっちかといえばクンニがしたい方です。

 こちらがやってあげたい。

 女性器を舐めたり焦らして責め立てて悦ばせ、女性を体面なく悶えさせるその風情を見る方がよかったりする。

 なにしろオトコとしての征服感というのがあります。


 もはや苦痛かというぐらいに女性を快楽に溺れさせる、そんなS的なプレイの方が楽しかったりします。

 そうして、俺自身はそれで女性の快楽の役に立っていると思える。そんな存在意義の確認があります。


 安心だってある。


 女性が恥ずかしがる、身悶えする。俺はそれを眺めていることの方がよかったりします。




 もちろん、女性は比較的そういう楽しみをご存知の方が多い。

 男性を悶えさせることに悦びを感じるという方はいます。


 よくあるAVのように、言われたままおざなりにやるんじゃなくて、お約束みたいな感じじゃなくて、それこそ男性を責め立てる。

 やがては自分が守勢に立てば倍返しの快楽をされる、そんな期待に濡れそぼっている。

 フェラしている姿にそんな高揚がある人がいます。

 どうしたってそうなりますが、うかうかするとこちらはオトコのくせに嬌声を上げてしまいそうになる。

 そこには男性が蹂躙されるような惨めささえあったりする、いわばM的な快楽です。


 ネチっこいフェラや男性の乳首攻め、アナル舐めなんて喜んでなさる方もいる。


 ああいうのには溺れそうになるような怖さもある。

 どこまでも転落して行きそうになります。


 そこは男女のせめぎあいなのでしょう。男性がしたいことを女性だってしたい。

 ベッドでのお互いの駆け引きみたいなことになるわけです。



 まあ、そんな女性はというと、いくら熱中したとしても、プレイの後はサッパりして少しも後を引きずらない、そんな人が多いのですがw。


 行為のあと、まどろんでいたらいつのまにか着替えてサッサと帰ってしまう、そういう女性もいます。

 そんなシーンを想像すればそんなタイプの女性の冷淡さも首肯できるのではないか。



 俺としてもどこかで願望としては自分が責め立てられてアンアンと声を上げるほど悶えさせてもらいたいというのはあります。

 それは決して否定しませんw。


 それは直接的な快感への憧れのようなものです。M的。

 でもオトコにはオトコとしての体面というのがある。

 なかなかそれを解放できない自分がいます。



 ショッカーに捕らえられ、悪のミツバチ女王に責め立てられるなんて、甘美でステキ過ぎる妄想ではないか。

 美しい敵が俺を捕らえて好きなように蹂躙しようとする。そんな妄想はとても憧れる。

 俺のどこかにあるM性というのをくすぐって堕とそうとしてくる。


 ヒーローがクモの巣に捕らえられたとか、縛られて動けないところを女性戦闘員にイタズラされるとか。

 全面的な降伏ということには全面的な快楽があるものなのです。


 それはもはや抵抗できない諦め。

 そこをなおも攻撃してくる女性からの性的な責め。

 なんという愉悦なのか。



 おっと、しかし。w

 ここで自分が快感に酔ってしまっていることは決して相手には知られてはいけません。

 だから俺はきっと苦悶の表情を作るでしょう。


 かつての昔のテレビ・ヒーローたちもそうでした。

 苦しんで痛めつけられてからの大逆転劇。常にヒーローにはピンチが必要だった。

 俺は子供の頃から密かに、そこに強烈な性的な面を感じていたものです。



 内心は絶望的なほどの快感にその場で絶命してもいいぐらいだと思ってゆく。

 それを悟られさえなければ、まだ女性は責め立ててくれるのです。そこに無限の快楽があります。

 俺を快楽の虜にしようとやってくる。



 屈服してそして責められ、そして行く末は「解放」という「死」というのにつながります。

 死。 それは究極の快楽ではあります。





 まあ、しかし死は一度きりですw。 死んでしまえば二度とはない(笑)。


 そういう状況やプレイをとことん許してくれる女性というのはあまりいないものです。

 いればいたで裏が出来たりする。思惑が出てきたりします。

 女性だって危険なものになってゆく。残酷になることがある。



 もし、そんなオトコを責める立場に女性が置かれたとしたらどうか。

 オトコが快楽に耽っていることに気づけば女性は何かしら必ずつけ込んで来るものです。

 男が弱みを見せればどんな女でも油断ならなくなります。

 そうした裏があることにオトコは楽しめません。醒めてしまう。



 実利的な女性はそこから何かを引き出そうとするはずです。男にはそれは興ざめなのです。

 まるでそれは娼婦が男の弱みにつけ込んで来るような、そんな感じといったらいいのか。

 つまらない。それでは相手はただの強請り屋でしかない。



 悲しいかな、男というのはいつだって油断ができないものです。




 そうすると、フェラなんか得意げにしてくれる女性の図というのはたいてい警戒しか想起できないことになります。

 だから性的興奮をあまり惹起しないということになります。

 AVのフェラシーンのように形式的なものへと成り下がる。



 しかし、そんなところはあるんだけど、それでもフェラしてくれる女性の顔、その姿で例外的にいいと思う女性のタイプが俺にはいます。


 それは鼻が長い女性w。

 馬面というか、世の中には鼻が長くて大きな女性がいますが、彼女たちがフェラをしてくれる姿というのは正直、俺はグッときてしまう。

 AVでもそんなタイプの女性がフェラシーンを演じているのはとてもセクシーに見える。



 どだいその手の顔というのはあまり賢くは見えないというのがあります。

 なんだか間が抜けている感じがする。

 そんな人が鼻孔をふくらませて一心不乱にフェラしている姿はとてもいい。


 馬というのは賢いといわれますが、こっちが乗る関係としてそうなのであって、ただ眺めて目を見ればあまり賢くは思えません。

 よく言えば純粋さ、それはつぶらな瞳です。

 やはり馬ってのは調教されている上でのことなんだというのがある。

 馬面の女性にはそんな調教済みのような従順さを感じます。


 それを言ったらネコの方がよっぽど賢い感じがするでしょうw。


 しかしネコ耳のコスプレは可愛いからいいのです。こちらの愛玩の対象だからいい。

 それが、こちらをネコ耳のコスプレでフェラをしてくれて責め立ててきたとしてもどうか、どこか演技みたいでわざとらしく感じてしまうに違いありませんw。

 芝居がかっていると興醒めです。





 そこいくと馬面の女性にはこちらも油断できてしまうというのがあります。

 彼女たちは賢くなく思える。

 没入できそうな感じがある。入ってイケる感じがあります。



 例えば、あのバレーボールの大林XXXとかがいい例です。あの手の女性のことw。

 ああいう人がフェラしてくれるとしたらどうか、俺はとても魅力的に思うのです。

 ああいう馬面がフェラしてくれるとしたらとてもいい。とてもセクシーに思えます。


 間違っても美人とは言えないのですが、そこがいい。

 特にフェラする姿にそう思えるのです。

 フェラする馬面の女性には特別な魅力があるのだと俺は思う。



 そういう女性にフェラしてもらってごらんなさい。

 こちらをじっと窺うように見上げながら彼女たちはしてくれるのです。

 まるで惚けたような顔を見せながら、アホのように熱心にフェラしてくれる。

 それを見下ろすのは最高の眺めだと俺は思う。


 それはまさに調教済みの馬、馬かコリーのような犬のような感じ。

 そんな風にして男のイツモチを貪る姿にはこちらの疑いや疑念は起きようもありません。安心感がある。





 忘我しているように見える女性、男性に完全に従順になった女性への安心感ということ。

 そこでしてもらうフェラなら最高なのです。

 安心できる。


 やはりこちらも大事な下半身を預けているのです。

 そういう安心感は大事なんだと思う。


 いや、俺は嫁にでさえそんな安心感はフェラでは感じないものです。

 ヘタをしたら後ろめたいところを知られていて仕返しさえるかも知れない、そんなことさえ思います。


 ところが、そんな馬面タイプの女性だと、こちらも素直に「ああいい気持ちだ」、そう言えるところがあると思う。


 俺はそうした女性のタイプがフェラをしてくれるなら大歓迎です。

 単なる映像にしてもグッと来るものがあります。


 AVなんかでも、普段はあまりフェラシーンなんて退屈でロクでもないと思って早送りしてて、たいして楽しめないものですが、そういう馬面の女性たちだとつい見入ってしまうのです。


 
 普通のフェラだと、こちらが女性に体を預けている感じで、どうしたって男女の立場が逆転する。


 こちらは大事なイチモツをいつ噛み千切られてもおかしくない立場にいる。


 すると、とたんに女性は凶悪というか攻撃性を見せるかも知れない。そういう可能性がある。

 こちらを尋問さえしようするかも知れない。

 隙あらばという感じになる。



 俺はそんな緊張は楽しめない。だから俺は代わりに女性を征服して満足しようとする。スキを見せたくはありません。


 枕の下に隠した現金が盗られるとか、クスリでも盛られるとか、つい余計なことを考えてしまってどうしても受身一辺倒になれない。身を委ねて楽しめません。



 俺の嫁にしたって、そんな油断を見せればどんなことを考えるのかwww。

 それが特に馬面の女性が相手だと警戒心がほぐれる。

 それが魅力。

 バレーボールの大林XXX、あの手の顔。あれを思い出していただけたらいいと思う。





 かつて、深く付き合っていた女性と別れ話になった。

 外のカフェなんかで話し合い、別れるとお互いに決めた彼女と俺と二人。

 彼女は俺のアパートの部屋へと置いていた荷物を取りに一緒に帰ってきた。



 部屋で二人きりになると、彼女はいきなり俺を押し倒してズボンを下げて俺のイチモツを咥えました。

 驚くぐらい積極的だった。


 そりゃあ長く濃密な時間を過ごした間柄ではありました。

 でも、もう終わっていた。それがなんでそんなことをするかと俺は訝った。


 そうして彼女は意地悪そうに言ったものです。「もう、これが美味しくなっちゃってる」って。

 あれはどんな心理だったのか。

 もうお別れだった、そう決めていたのにw。




 結局、彼女はただの陳腐な「別れ話」では終わりたくなかったのでしょう。それでは彼女の敗北だと思えたのに違いありません。

 俺が悪い、すべては俺のせいだと、そんな愁嘆場の結末でケリをつけたかったわけですw。


 話し合ってしまえば冷静な別れ話になります。俺だってストーカーではない。

 そうなってしまってきっと彼女には不満だったでしょう。

 きっと彼女としてはどうしようもない男に見切りをつけた、そんな形にしたかったのでしょう。


 だから彼女はイチモツさえ咥えてみせ、俺をそこらのゲスな男にしようとしたのでした。

 別れ話になりながら、フェラされればとたんにば快楽に喜んでしまう情けない男なんだ、と。

 彼女は俺をそうしたかったw。



 頑固な俺はフェラを拒絶しました。

 彼女にそんな意図があると分かったかどうかはよく思い出せないけど。。

 というか。フェラされること自体に警戒感はあった。


 それに彼女は馬面でもなかった。小さい鼻だったw。


 結局、彼女には悔しい別れとなったのです。

 その後、こちらから連絡を取ってみたことがありましたが、二度と彼女と連絡が取れることはありませんでした。





 男女間は緊張状態だというのは真実です。

 快感を貪りあうにしても与え合うにしても、緊張がある。


 その上で癒されたり相性がよかったりする。絆ができたりもする。

 あんまり依存してしまえば嫌がられる。こちらもその依存関係を拒絶する。

 ホントは全力で甘えたいのに叶わない。報われない願望もあるという訳です。



 そんなもどかしさを恋というのでしょうが、俺にはただの駆け引きにしか思えなかったりする。

 まだ俺は愛が分かってないw。




 新年を迎えて思い出したことが色々とありました(笑)。

 今年もよろしくお願いします。


 がんばって、今後ともできるだけ更新しようとは思いますが、応援をどうかよろしく。

 過去記事はそれこそ盛りだくさんです、どうか遡ってお楽しみください。



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 具体的に女性とどう手をつないだらいいのか。

 それを話していませんでした。


 「自分から」、「さりげなく自然に」なんて言っても、ちょっと曖昧かも知れません。

 コツが分からないという人もいるかも知れません。

 どんな時に、どんなやり方でつないだらいいのでしょうか。



 まず、手をつなぐ時は相手の女性の顔や目を見たりはしないことです。

 自分から手を伸ばしてみると、そこに偶然のように相手の手がある、そこでつないでみる。

 そんな感じです。




  相手の顔を見て、正面から手を握るというのは疑問です。

 それじゃ握手になってしまいます。


 やってみれば分かりますが、そんな風に体が相手と正面に対峙した状態で手をつなぐと、女性というのはとたんに色気がなくなるものですw。


 「何よぉ、何か頼みごとでもあるわけェ?w」

 なんて、友人みたいな、そんなことを言われたりしてしまうものです。


 照れ隠しならまだいいのですが、たいていはコミュニケートだと思われることが多いのです。

 手をつなぐコミュニケーションの方法もあるからです。


 それで絆は深くならない。

 発展しないのです。





 また、「間」 というのもあります。

 お喋りをしていて、話が途切れた時に手を握ったとすると、さっきまでの会話の内容と関係があるように取られてしまうかも知れません。

 それではあまりよろしくないw。


 だからお互いに話してなくて、黙っているような時がいいのです。

 そして、二人が相手のことをそれぞれ頭の中で考えているような時がいい。

 それが心をつなぐことになります。



 手をつなぐということには、もちろん様々なメッセージを込めることができます。

 握手をしたりして信頼を深めようとすることはもちろんのこと、和解という意味も込められる。

 守ってあげる、危険なことを共有する、興奮を伝える。

 我慢させる、誓い、約束、励まし。

 傍にいることを強調する。

 互いの関係を確認する、などなど。





 こういうのは「非言語行動」などと言うのですが、言葉ではなく体を使って相手に何かを伝えたりすることは日常的なことです。

 自然に出てくる場合もありますし、自分でこうと決めて意識的に使うということもします。

 手をつなぐこともそのひとつの方法です。



 「手をつないで我慢させる」なんて、あまりピンとこないことかも知れませんが、相手の目を見て手を強く握れば「言うことを聞いて欲しい」、そんな意味が伝わるというのは分かると思います。


 言葉を使わない表現というのは実は言葉よりもっと言語的なものなのです。

 言葉以上に相手にこちらの意思を伝えることができる場合があります。



 人間はその太古の昔には言葉さえなかったでしょうから。


 だからこそ遺伝子に訴えかけるメッセージになるのです。




 しかし、私が「女性にしてあげると喜ぶ」と言った、「手をつなぐこと」というのは、実はそのどれでもありませんw。

 それは「つながっていたい」、ただそれだけだからです。


 心と心。

 余計なお喋りは必要ありません。二人でいることの意味を考えるなんて無粋というものです。

 そうして手が自然とつながれている。

 別に何かのメッセージを伝えるためにしているわけじゃない。


 そうして自然に手がつながれるようになったら、お互いの関係は特別な関係になります。

 相手が自分にとって特別であるという充足があります。

 それは信頼とか共有感とか、言葉にはできない感覚です。
  

 だから、何もない「無」の状態にいる時にこそ手を触れてつなぐのがいいのです。


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 理想的には、歩いていてどこかに向かっている時なんか、横断歩道などで立ち止まったような時が一番いいと思います。


 最近は自転車なんて歩行者に遠慮もありませんし、並んで歩くにも注意が必要です。

 だから進んでいる時は一列になっている。ロクに話なんかできません。


 それにコロナということもあります。 だから、歩きながらお喋りをするというのもあまりないことでしょう。

 そうして、話さない時間がある程度は続くわけです。

 
 そして赤信号などで立ち止まった時には並んで待ちます。

 指を伸ばせるだけでそこに相手の手があるという瞬間が出来ます。

 その時こそ手をつなぐチャンスです。


 あるいは、そこから再び歩き出す時、手を伸ばしてつなぐといい。

 何気ない感じにできます。



 言葉も意味も要らないこと。そんな状態です。

 すなわち、それは気持ちなのです。


 自分本人にだって自分自身に分からない心の領域があります。

 しかし無性に相手とつながりたい、そんな気持ちがある。


 そのことは必ず相手に伝わるものです。

 私の理解していない私自身の気持ちを相手が分かってくれるということにつながります。


 それが「絆」ということかも知れません。



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 実は私にはその昔、死別した女性がいて、彼女とはそういうことが一度もありませんでした。

 私はいつも言葉ばかりでした。そして、いつも彼女の方から私の手を握ってきた。


 私がジャンパーのポケットに手を突っ込んでいると、そこにわざわざ彼女は手を入れて手を握ってきた。

 寒い季節でしたが、私から自然につながろうとするということはなかった。

 自分では分からなかったけれども、どこか私は頑なだった気がします。

 そうした気持ちからポケットに手を入れることが無意識にあったかも知れません。

 それは彼女には分かってしまっていたと想います。


 私はそのことを振り返って少し後悔することがあります。



 後悔のない瞬間を二人で過ごしたい、そう思うようになったのは今の嫁と出会ってからでしょう。

 だから、私は彼女の手をつなごうとし、いつもそんな機会を窺っていますw。

 照れや軽々しくならないようにするのはむしろ言葉です。

 手をつなぐならできる。



 彼女もそれを受け容れてくれています。

 嬉しい、なんて言葉には出さないけれどもw。



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 男性はあまりやらないものだと思いますが、「手をつなぐ」ということは女性にはとてもいいものです。

 女性にはとても嬉しいことなのです。


 それは心がつながることでもあり、男性が女性への愛情を伝えようとしているように感じられるからです。

 その男性からの積極的な想いというのに女性というのはとても弱い。

 喜ぶものです。


 しかしもちろん、そこに欺瞞があれば女性はすぐに気が付いてしまうものです。

 女性はそれを見ていたりもしますw。 ジャッジもします。


 だから、軽々しい恋の駆け引き、チャラい男のナンパの道具には利用できません。

 賢い女性と言うのはそうやって男性の本心を探っているものでもあります。



 だから、もし、ご自分のその気持ちに嘘がないというなら、男性は自分からすすんで手をつないでみようとしたらいいのです。

 きっとまるで彼女の反応は違うから。

 
 ちゃんとご自分の方から手をつなごうとすることです。

 それが大事です。






 しかし、こういう手をつなぐということが照れ臭いとか、子供っぽいとなどと思ってしまう男性というのはきっと多いことでしょう。

 それはたいていの男性にとってごく普通の反応だと言えます。

 たいていの男性には手をつなぐということは苦手なものなのです。



 まずなにより、生物の習性というのがあります。 男性には動物としてパートナーを守ろうとする深層心理があります。

 手が塞がっていては外的や外の脅威に瞬時には対処できません。

 だから手を繋いではスキができる。だからこれを嫌うものなのです。

 それがまず一番の本能的な理由です。



 その上、そんな姿を人に見られることは「怖い」というのがあります。

 これは社会的なことですがやはり同じような意味です。

 夫婦生活の様子を他人に詮索されてしまうことはやはり弱点につながることだからです。

 「身バレ」してしまったのではパートナーを守れません。





 どだい男性というものはこうしてウチとソトを分けるものです。

 社会性という意味からもウチとソトで態度を違えるというのは普通にあります。

 だから女性の側がいくら期待していても男性には通じず、応えられないということがあるのです。



 例えば男性なら、知り合いから声をかけられた時のことを想像してみればいいと思います。

 すぐ分かるでしょう。

 「いつも仲がいいんですね」、なんて人から言われて、それでとまどわないような男性はきっといないでしょうから。

 まず疑義が起こるはずです。 いったい我々はどこで見られているのか、と。

 こういうことを言われると、たいていの男性は自分のプライベートや夫婦生活を見透かされているのではないか、そんなことを怖れるものなのです。



 これが古い世代の男性になるともっと強い発露になったりします。 奥様を「お綺麗ですね」なんて褒めるのさえ嫌がる人がいます。

 こちらはただ褒めたつもりでも、「なんか嫌らしいなぁ」なんて返されてしまうものです。

 こういうのはちょっと現代の人には理解しがたいのではないかw。



 だから、手をつないだ夫婦や恋人同士の姿が他人に見られるというのは男からすればどうにもやりにくい、どうしてもそうなるものなのです。

 女性にはそれを理解していただきたいw。




 例えば、素直というか純朴な感じの少年系の男性だったら、そんな風に手をつなぐことは割と簡単です。

 いわゆる「草食系男子」というやつでしょうかw。


 しかし、逆に言えばそういう「天然系」の男性には性的な広がりはあまりないものです。

 彼らは女性を性的に深く開発したり探求してくれることはないし、「なんとなく一緒にいると心地よい」なんて女子の方から言われるような、そんな存在です。

 特に追求するところがないのですが、こういう男性は若い時にはとにかくモテますw。

 自然に振舞いつつ女性たちのハートを掴むものですw。




 それは今風の草食系男子というわけですが、やや世間ズレしたような印象さえあるようなそんな男性には手を気軽につなげられるという長所があります。

 そんな男性にとっては女性と手をつなぐことなんか何でもないのです。

 たとえ付き合ってなくても、彼らは女性と何気なく手をつなぐことができます。

 そういうことが自然にできるオトコというのがいるのです。


 特に若い時に、とてもモテるのがこうした男性です。男性から見ると美少年系に見えるタイプですw。

 女性からは可愛らしいと思われるし、彼らはいわばショタ的です。

 なかなか普通の男性は真似できるものではありません。



 ただ、誰しも歳を取るものです。 いずれは飽きられてしまうものです。

 結局、熟年離婚なんかされてしまうのは、この手の男性のような気がしないでもありません。

 男がいつまでも草食系でいたら困るのは間違いありませんw。



 しかしそれにしても、手をつなぐというのは普通の男にはハードルが高いものです。

 普通のことであるだけに、それがなかなかできないというのが女性には理解できないものです。

 女性の側がつないでほしいと思っているのに男はまるで気が付かない風なのです。そこが歯がゆい。

 挙句にはそれがデリカシーがないとか、お互いに感受性を共有できないなどと誤解されて失望される原因になってしまったりします。

 とりわけ女性というのは早合点しがちなものです。そして見切るのも早いw。


 つまり、女子の方は期待しながらも忸怩たる思いでそんな男性の態度を見ているということです。



 女性にとっては「髪の毛を褒めてもらう」のと同じぐらい、手をつなぐことは重要なことかも知れません。

 しかしそういうことを言えるのかどうかと同じくらい、手をつなぐというのは男には不得意なことなのかも知れません。





 だったら、男性は子供の頃を思い出してみればどうでしょうか。

 整列させれらたり、ジェンカなどのダンスをやらされたりw、そんな時、男子は好きな女子と手をつなげる機会にはきっと男子はワクワクしたはずなのです。

 まだ性徴もおぼつかない頃のうちから、男子は好きな女子との手がつなげることにドキドキしたはずなのです。


 男子なら子供の頃、きっと機会があれば喜んで手をつなごうとしたはずなのです。

 なぜそれを忘れてしまうのか。

 子供の頃、臆面もなく好きな女子の手をつなごうとしたことを思い出すべきなのです。



 そんな子供の頃の目で、改めて自分のパートナーや恋人、奥方を見てみればいいと思います。

 そうすればきっと、自ら進んで手をつなぐ勇気も出るはずです。





 また、手はとても重要だというのは、セックスの最中に手をつないであげれば絶頂が深くなるということでも分かります。

 まるで宙に浮くように、つながったまま手をつないでみて、その腕を二人で大きく開いてみれば、不安定な中に絆のようなものがきっと感じられるものです。

 そうして、宙に浮いた手をつなぐことによって二人の間にはセックスを通じて信頼のようなものができるものです。


 お互いに、より深い結合感と深い快感を味わえる。


 「手」というのは、実は我々人間が一番頼りにしている器官です。

 手を使わないとできないことは多いのです。


 その手の平を十分に活用し、心の信頼を深め合っていただくこともできるのだと私は思います。

 それは性の悦びにもつながることでもありますし、セックスを通じて二人の絆を深める手段にもなります。


 


 とはいえ、実際にオトコの習性を考えると冗談でもないような逆説もあります。

 オトコというのは手をつなぐのが苦手なくせに、実は手というのを女性よりもずっと性的なことと重んじているのではないかということですw。

 手がキレイな女性をモテるなんて云うに及ばずw。


 例えば、女性用の手袋をして自慰すればその快感が増すということがあります。

 前にも話したかも知れませんが、逆手に触られると触られた時の快感は増大する。

 オトコが自分でオナニーする時は、そうした自分ではない手で慰謝されるような感覚を求めるものです。


 でも、率直にその快楽の追求に向き合えるという男性は現代では少ないかも知れません。

 やはり既存の感覚が邪魔をしているのです。

 「手」によって性的に癒されたり、想像力が増すというのは確かにあるのですがw。


 あまりあからさまに言われることはないかも知れませんが、昔の時代はそうやってローションとか石鹸を使ったり手袋をしたりしてオナニーをしたものです。

 昔はコンニャクを使うとか色んなことを試したものですが、まず「手」というものがありました。

 転じてそれは感触になりました。手は「触る」ということにつながることです。


 そうして、女性のストッキングの感触にオトコはついウットリしてしまったものです。

 男性自身をなすりつけたりもした。


 そういう偏執的な心理というのは必ず性の深い追求に結びついているものです。




 今なら、きっとそういうことは変態的な風に言われてしまうんでしょうけれども、男性が手による快楽を知っていることは女性への対応もまた違ってくるものだと思うのです。


 それは感触とか、さわり心地というのを追求するということにつながるからです。

 ひいては相手へのソフトタッチなどにつながります。

 女性の側からすれば一方的な愛撫にならない。 手の感触というのは相手あってのことだからです。


 つまり、そういうことを知っているオトコと知らないオトコでは女性の喜ばせ方がまるで違うことになりますw。


 子供の頃の昔の原点に還って、もっと手による快楽、手をつなぎたいという欲求を追求する、そんな気持ちを取り戻してはどうでしょうか。

 性とはまず手の感触を感じることから始まるのではないか、手をつなぐ愉悦を感じることではないか、私はそう思うのです。


 参考にしてください。




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