別れ話をするとそんなセリフを言う男が必ずいる。

 ケンカになると必ずそんなことを言う旦那がいるそうだ。

 どっかに連れて行ったことを、まるで贈った指輪のように大事なことと主張する男がいるのだとか。

cabe

 たいていの男というのがそうらしい。
 俺の先日のフラれた彼女、その婚約者の話ではないが、女性に対して何かしてやろうという男は多い。

 それはすごく具体的だ。

 どこか旅行に連れて行くとか、ディズニーランドに毎年連れて行くとか、クリスマスの日は必ずどこかに行くとか。

 そして米軍払い下げのアメリカンな住宅でのホームパーティ・・・。

 「俺と別れるなら、もう来させない」って言ったとか。、、、それってどうなんだかw。


 言ってみれば、とても実利的なことだ。

 それはそんな男たちには、「女性はそういうものだ」という思い込みがあるのかもしれない。

 女たちの方も「どこかに連れて行ってもらう」なんて、思い込んでいるように思う。



 俺は捻じ曲がった人間だからなのか、あまりそういうことが分からない。

 どこへ出かけようがすぐに慣れてしまうしものだし、警戒するから羽を伸ばすにしてもそうはない。

 海外にしてもすぐ現地に溶け込んでしまい、感動など感じない。

 世界中どこでも同じようなものだ。

 きっと一緒にいても俺は面白くない男なのだろう。


 外地で観光客の女性と知り合った時、その女性に警戒心がなかったりしたんで俺は頭にきた。

 自分の身は自分で守るようにしないと、油断したりゆるいのはダメだよ、それは傲慢さの現れじゃないか、なんて。

 俺は癇癪持ちだww。




 毎日を二人で穏やかに暮らす、今の俺が望むのはそれだけだ。

 見つめる、話す、キスをする。毎日のその方が俺には大事なことだ。


 しかし、あの時俺は、そのために交渉を急いでヤリまくったんだから、考えてみればあれも実利的なことだったと反省しないでもないw。

 それでもあの時はまるで通じなかった。
 俺とのセックスより米軍払い下げ住宅の方がよかったんだからw。


 嫁は俺がどこにも連れて行かなくても満足しているように見える。


 そもそもどこに行きたいという話が出ない。
 それでいい、俺はそう思う。


 海外赴任に憧れてそういう男を捜す女性や、やたらと仲間内で恋仲の関係をとっかえひっかえしたり、あるいは二人の最大の思い出といったら「どこそこに出かけたこと」、なんて言う人がいる。

 どれもみんな具体的で実利的なことが二人を結び付けているように見える。

 二人だけのことはどこにあるんだ?、俺はそう思う。


 少なくとも俺にはそういうことは無縁だと思っている。
 


 昔、嫁と復縁して一緒に暮らし始めてから、嫁が前から言っていたことを再び口にするようになった。

 「復縁」なんて、なんだか嫌な言葉だ。「別れずにすんだ」と言ったほうがいいw。


 ともかく、嫁は「自分の前世は多分ハワイにいたんじゃないかと思う」、なんて、そんな話をよくしていた。

 だからって俺はハワイにそうそう行くつもりもなかった。

 なにしろ復縁後は大学の授業もあり、俺は忙しかった。


 そのうち、彼女は友人に誘われてこれ幸いとハワイに行った。

 飛行機で小さな島まで足を伸ばしたりして旅行してきた。

 こちらは飛行機が嫌いというのもあるので気が気じゃなかったが、楽しく過ごしてきたらしい。


 帰ってきてから、ハワイ前世の話はなくなった。

 「どうも前世は違ってたみたい、そう思った」、なんて嫁は言った(笑)。


 そのうちベネゼエラとかコロンビアの密林なんかを言い出すのではないかと思ったがw、あれからそんな話はなくなった。



 女性がどこかに出かけたいとか、どこへ連れて行ってくれというのを重視するのは、前世とか自分の分身みたいなものが他の土地にあると感じるからなんだろうか。

 そんなことを思う。


 「前世が何処か」、なんて発想は俺には湧かない。

 せいぜいサムライだったか、百姓だったか、家臣だったか、浪人か、そういうことを考えてしまう。

 嫁だけでなく女性とは俺はそういう意思疎通で食い違いをよく経験する。


 「生まれ変わったらどうしたい?」と聞いて、女性は「ハワイに生まれたい」なんて言う。

 男なら、「生まれ変わったら戦国時代がいい」、そんな感じじゃないだろうか。


 しかしそれでも、「未来でロボットに囲まれて不老不死の時代に生まれ変わりたい」なんて話は聞いた事がないwww。

 みんな過去のことばかりだ。


tabi