なんとか続けてきたが、こんな風に昔を振り返ってみることは実は苦しい。
嫌なこともあった。嫁に当たってしまい、自分が悪かったとつくづく嫌になった。
あの時ああすればよかったということだって、今はまざまざと思い起こされる。
だから前、俺はこれが「写経のようだ」と書いたのだ。
いよいよ苦しくなってきた。分かっている読者もいるんだろうか。
少ない読者だから俺にはなんとも言いようがないけど。
だいたい、俺はこの貰った手紙をこれまでほとんど見返したりはしなかったんだ。
それを改めてスキャンまでして書き起こすこと。これまでのブログの趣旨とはうって変わって、まるで重い。
俺の性的欲求とか願望とか、男がカノのこと、嫁のことから思うままに書いていた時とは明らかに違う。
こんな時期、置き手紙の時期、俺にはいいこともあったかも知れない。
それは読者の方が判断することだ。
読者には画像で手紙を読んでもらえば一目瞭然。別に活字にわざわざする必要はなかったんだが、俺はそれをやってみた。
だって、個人情報とは言え、手紙の箇所、俺宛ての名前のところを消しているというのはちょっと嫌だったから。
俺がどんな名前で呼びかけられ、その結びに嫁がどんな名前で結んでいるかは大事だ。
できればそのまま出したいとは思ったが、そこは仕方がない。
だからあえて、読める画像だというのにわざわざ文面は書き起こしてみた。
そうすることが慰みになると思った。
そうすると、あの時、あの嫁の顔、あの場面がまざまざと思い起こされたのだった。
忘れていたこともまるで昨日のように、それこそ「手に取るように」思い浮かべられるようになった。
そのまま眺めていただけではこんなことはなかったろう。
そういう点ではこのブログにアップしたことはよかったかもしれない。
この機会が得られたことには俺はとても 感謝はしている。
アパートの目の前には道を挟んで個人の畑があって、雪が降ったとき、俺の発案で俺と嫁は裸で飛び出していって、その雪の積もった畑に飛び込んだりした。
風呂を沸かしておいて、そして二人して裸で雪に体の跡をつけた。
俺たちはまるで若者だった。
そんなことをやった二人だった。
彼女もついてきてくれた。今でも嫁は俺についてきてくれているだろうか。
今でも嫁は乳を揺らして風呂上りにウロつくような女だが、そんな自由奔放で快活な個性を俺は大事にしたいと思っていた。
なにしろ俺は欝気味のクソ野郎だからw。
この記事を書いていて俺が欝のまま、夜中に首吊っても俺は別に驚かないw。
まあ、今は嫁がそこにいるから。
今夜も週末、嫁は映画を観ようって言ってくる。
カネはないが楽しい毎日だ。
嫁には感謝してもどうしても足りない。
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