きゃわイイ女

 嫁がかわいい。綺麗で自慢の嫁だ。籍を入れてないから正確には嫁じゃないんだけど。もう何年一緒だろうか。いつも一緒。いつもカワイイことを言って俺を楽しませる。最近、綺麗だと言わないと文句を言う。そんなに言ったら減るじゃん。

2020年05月


 「外国人の彼女なんか作っちゃってサ・・・」

  嫁が言ったたのは初めてだ。

 知らないのかと思っていた。


 それとも知らぬうちに連絡でもあったのだろうか。


 もう遠い話だ。

 暫く外へ出かけて留守にしていた時の話だ。

 浮気なんてものではない。

 いつもそうだ。

 女と見れば見境がないわけではない。俺は真剣な人間だ。


 踊っても、飲んでも、俺はいつも真剣にやってきた。

 だから楽しいと聞かれればそういうわけではない。享楽の愉悦に酔うことなどない。

 ただ何かを追求すべきだ。そう思うのだ。

 そうして俺はやってきた。


 だから嫁も「浮気」とは言わなかったのだろう。

 酔ってカラんで、さんざん暴れて、ベソをかいたらチラりと漏らした。

 ドキりとしたが黙っていた。

 嫁はそれ以上は言わなかった。


 今はお前と二人だろうに。

 いつもいつも、常に一緒にいるだろうが。


 俺の歯は折れたままだ。 もう怒ってはいない。

 またニコニコ笑うことだろう。大事にしているのにこのざまだ。それこそ笑う。



 またすっかり忘れてしまい、嫁が同じことを繰り返さないようにはどうするか。


 反省文でも書かせるか。



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 とうとうやった。

 嫁がやりやがった。 おととい。



 ここんとこ数ヶ月、酒を飲むたびに嫁は俺に絡んでいた。

 しつこく絡んできてワアワア騒ぐ、挙句にバッタリと床に倒れて泥酔する。寝室にいけないぐらいに泥酔する。担ぎ上げたのも度々だ。

 こちらはたまったもんではない。そして叱れば翌日には「ごめんなさい」だ。

 またそして飲み始める。

 「お前は昨日ひどかったから今夜は飲ませない」そういえば、また騒ぐ。前は一日ぐらいは禁酒したものだ。

 しょうがないからと飲ませることになる。



 そして飲ませれば三回に一回ぐらいは絡んで暴れる。

 もともと酒乱の気があった。

 コロナ騒ぎのストレスも加わったのかも知れないが、おとといはとうとうやらかした。



 おとといの晩はひどく絡んできて、可愛がれだのキレイだと言えだの、鬱憤晴らしが激しかった。

 もう夜中近くになっても騒ぎ続けた。

 こっちが相手にしないとしつこく邪魔をしてくる。


 突進してきて倒され、俺は前歯を折った。机の角が当った。

 二本折れている。



 そりゃあブッ飛ばした。

 張り手をしたから嫁は目の周りがパンダのようになっている。瞼も腫れている。まるでお岩さんだ。

 暫くは外出もできまい。


 ゲンコツでぶん殴ってもよかった。さすがに歳だ。こらえまくった。


 頭にくる。

 だらしがない。

 酒に呑まれてしまうのだ。

 節度がまるでない。我慢ができない。

 

 もう酒は二度と、嫁には一生飲ませない。 

 本人も止めると言っているがどうなるか。



 そういや昔に同じことがあった。

 若い頃、嫁がキッチンの奥に酒を隠して飲んでいて、ブッ飛ばしたことがあったのを思い出した。

 キッチンからリビングに頭を掴んで引きずってさんざんブッ飛ばした。


 あの時はウォッカかなんかを飲んでいた。

 盗み飲みなんて馬鹿をするなと、こっぴどく叱ってやめさせたが、あれからなんで再びこんな風に飲むようになったのか。

 まるで覚えがない。




ヤバい。

 こんなことをやっていて、死んでしまわぬようにしないといけない。


 今回、酒を止めたとして、また次に飲み始めたらどんなことになるか。

 何回注意してもまた忘れた頃にはじめるヤツだ。



ここはブログだ。

 こんなことをここに書いてもしょうがない。愚痴など意味はない。

 整理のつもりだ。

 そうしよう。
  
 

 
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 ついて子宮頸がんや子宮筋腫の話になったのは、嫁が丈夫で健康な女でよかったと振り返ってからだった。

 確かに嫁は健康な女で病気がちではない。だからこそ注意はしないといけないだろう。


 せっかく思い出したことだから子宮頸がんの手術の時の話。


 ベランダで泣きべそをかいて、病気だと言った嫁だったが、勇気付け、切除すれば完治することを喜ぶように言った。

 別に怒ったりはしなかった。


 すぐに段取りよく手術ということになった。

 執刀は女医がやり、腕のいい人のようだった。

 入院はわずか二週間ぐらいだったろうか。


 手術の予定が立ち支度をして入院に出かけた。

 病院は3キロぐらい先と近所だったので、トランシーバーを持たせて嫁と話をすることにした。
 
 結局、嫁がトランシーバーをうまく扱えず、おやすみぐらいの挨拶を何回かしただけで終わってしまった。


 
 見舞いにいくとすっかり病院でくつろいでいた。

 同室の患者とも仲良くやっていた。社交的な女だ。

 いよいよ手術、手術当日は手術室へ見送った。


 二時間ぐらい、結構長かったかも知れない。手術中に嫁の空いたベッドで雑誌なんかを読んでいるとさすがに心細い。

 手術が終わると嫁は眠ったまま運ばれてきて、青ざめた顔色が心配させた。


 術後、俺は内縁の夫と言うことで医者から説明を受けた。

 手に肉片を乗せて見せ、これがガン細胞なのだと説明してくれた。至急の入り口付近の肉を丸く切りとって切除し、ガン化した細胞を取り除いたのだという。

 初期だから転移してはいないだろうし検査はしてゆくがまず大丈夫だということ。

 肉片は黒く焦げていたが、それはレーザーで焼ききったからだそうだ。


 小指の爪ぐらいの大きさのものが三日月状に切り取られていた。

 「記念に持っておきます」と言ったらダメだと言われた。汚染された危険なものということらしい。


 考えてみれば長い手術だった。嫁は暫く安静に過した。


 手術は年末に近かったのでクリスマスを挟むことになった。

 正月前には退院できることとなったが、クリスマスの慰安があるというので、車椅子に嫁を乗せて病院の教会に行った。

 みんなが集まってきていて、そこでちょっとした音楽発表会があった。


 車椅子の嫁と二人で部外者のような気分で見に行った。まだ病気には先の長い人たちもいる。我々は慰められるほどもう悪くはない。


 子供の合唱、何人か楽器のできる医者たちがバイオリンやチェロなんかを弾いて発表会をしてくれた。

 最後に医院長が拍手で迎えられ、オペラを披露した。


 クリスマスをみんなが喜び、嫁も楽しく過した。

 その年はよい正月になった。簡素で落ち着いた正月を過した。嫁はすっかり気分を直した。

 

 この病院は俺にはいわくのある病院だった。

 アフリカの友人がここに入院して俺は彼を見舞ったのだった。見舞いに行ったのも確かクリスマス近かったはずだ。

 ちょっとした胃潰瘍で大丈夫だという彼と別れ、またなと別れた。

 それから俺自身が色々と忙しくして疎遠になった頃、どこかの店で彼が死んでいたことを知った。ガンだったらしい。

 俺はひどく打ちのめされた気になった。

 俺には言いたくなかったのだろう。 純朴な品のいい男だった。俺とは正反対だった。

 俺は今もよく彼のことを思い出す。


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